2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

マルキューは人種のるつぼ

春が来たと思ったらいきなり寒くなるし、朝鮮半島はかなりやばい様相を呈してきたし日本の大将もなかなか頼りがいがあるし、いよいよ世も末か…という雰囲気でして(ちなみにジャズも結構長いこと末でして最近スウィングジャーナルという権威の批評誌も休刊し…

宇野千代論10 千代のやり方

彼女が東郷との離婚前後、文章の省略のテクニックに続いて彼女が取り入れるのはフランス心理小説の手法である。そしてこの行為は文学の世界においても西洋を日本風に変換しようという試みを恐らく無自覚に、自力で彼女は始めたということを意味している。 フ…

宇野千代論9 東郷青児の影響力Ⅱ

しかしでこでこ(=複雑化)癖のあった彼女がそうやすやすと文学に於いても簡単化への道のりを辿るとは思えない。前述した「模倣の天才」にも彼女がターゲットにしたと言う作家たちの名前が掲げられているが彼女が文学に於いて模倣したのはアントン・チェー…

宇野千代論8 男の文学、女の文学

さて、ここで話を宇野千代の昭和―戦前期に戻そう。文学批評家の秋山駿氏は女流文学をしてこう解説している。 「われわれがごく自然に日常的に持っている言葉の一半を、それらの知的な単語に改変すること。伝統的な文字精神を、他の学問的な体系とも共通する…

宇野千代論7 宇野千代とイッセイミヤケ

ここで本論のメイン時間軸から一旦離れて比較したいのが1976年にパリコレクションに参入し賞賛されその名を広く知らしめた三宅一生である。彼は1938年、(千代41歳)に生まれ、その有名なコンセプトである「一枚の布」でパリモードに会心の一撃を加えた。80…

宇野千代論6 第2章:私のきものはフランス文学  洋服を微分するという発想

ではここから前近代的な精神を持ち洋装を身に纏った千代の服と文学の創作の相似性を検証していこう。 彼女が文学と並びライフワークとなる洋服作りを彼女が始めるのは1932年頃のことである。彼女は「古い伝統を大切にして、その古いものを十二分に咀嚼し…

gマイナーであってもなくとも

超暑いですね。 毎日毎日僕の目ざまし時計のアラーム音は合唱曲でして今日もそれで目を覚ましました。いえ、僕が根っからの合唱嫌いだから耳にした瞬間寒気とともにびっくり目覚めるのではなくて(寧ろ大好きで大口開けて歌い大口開けて寝てよだれを垂らして…

宇野千代論5 できそこないのモダンガール

さて、1930年に洋装化が完了したことで彼女は断髪、洋装という記号を自分に取り込み、モダンガールの一員となった。しかし千代が断髪にしたのは昭和の夜明け1925年前後である。当時住んでいた馬込の文士村でも一番早く髪を切ったと言われているが、なぜ洋装…

宇野千代論4 東郷青児の影響力

千代が洋装を身に纏うことになるのは1930年に結婚するフランス帰りの東郷青児の影響によるものだ。千代のお洒落感覚を考察する上で一番重要なのが彼である。東郷が千代にもたらしたのは本場パリの「シック」だった。昭和から戦前の間に結婚し離婚したのも東…

宇野千代論3 ギャルはデコりたがる

さて、千代は初めて化粧をした時(19歳前後)「世にも美しい顔になった」「とんでもないお洒落になった」と自分の中の感動を回想している。その時以来からか彼女はお洒落に目覚め、でこでこなお洒落をやめることができなくなった。当時の自分を初荷の馬と呼…

宇野千代論2 第1章 おしゃれは文明人の義務である 「粋」/「でこでこ」

千代の創作に触れる前にまず生涯お洒落を欠かさず「お洒落をしないのは泥棒よりひどい」 と語り親戚でも化粧をしなければ会わない、週に1度は美容室へ通っていたなどの逸話を残し、交際する相手に合わせて髪型、装い、趣味を変えたと言われる彼女のお洒落感…

昭和‐戦前までの宇野千代論 文体=スタイル=着物 前書

宇野千代(うの ちよ、1897年11月28日 ― 1996年6月10日)は日本の小説家である。 多才で知られデザイナー、編集者、実業家の顔も持った。尾崎士郎、東郷青児、北原武夫と多くの有名芸術家との結婚遍歴とその破局は波瀾に富み生涯を賑わせた。きものデザイナ…