2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

呟く病のリハビリテイション

悪夢かと思われたテストの波を素人サーファーの様にして潜り抜けたところであります。 気づいてみれば最後に日記を綴った日から20日をカウントしており、大変驚いています。これには訳がありまして、まあ1つにはテストのため、2つにはツイッターのやりすぎで…

宇野千代論17 あとがき

この宇野千代論は僕が文学部ゼミの卒業論文として書いたもので、今読み返してみると見解が変わった箇所もあるのですが敢えて編集はせずに公開しました。今回は文学とモードということで書きましたが、彼女は自己のでこでこ性を見事なまでに発揮し(雑誌「ス…

宇野千代論11 第3章:私何だか私死なないやうな気がするんですよ つくりかえられる女の記憶

本章は前二章で示したお洒落感覚や前近代性、服と文学の相似性が具体的にどの様に宇野千代文学作品に現れたかを考察する。まず東郷以後から昭和9年までの超短編作品を集めた「貞潔 宇野千代短編小説集」(昭和45年2月 講談社)のあとがきを引用する。 私小説…

宇野千代論12 千代の永遠

さて、自伝を好きに書くという行為と同質のものは私小説である。と僕が突然述べたところで異論は恐らくないだろう。自伝と私小説の境界線など曖昧なものだ。先ほどの引用にあったとおり千代は自分を私小説家であると認識している。ならば千代の自伝も果ては…

宇野千代論13 コスプレをして語る

この宇野千代文学の物語性はそのまま文章に現れる。彼女はまたしても東郷の影響か1930年前後から人の対話形式または語り形式の作品を数多く発表するのだ。特に千代の語り形式は有名であるがこの2つの形式は人の言葉で物語を進めようという千代の思惑が感じら…

宇野千代論16 まとめ

前書に示した通り、宇野千代ができそこないのモダンガールになったのも、雑誌を編集するのも、服を作り始めるのも、自伝を書くのも(本論で何度も登場する「模倣の天才」の原題は「文学的自叙伝」である)、会社を立ち上げるのも、この昭和‐戦前にかけてであ…

宇野千代論15 文体=スタイル=着物

千代は本論で何度も論じているように前近代的精神の持ち主である。しかし近代化が進む社会の流れに対し、洋装を纏い見かけ上の近代化を果たすことにより適応する。これができそこないのモダンガール宇野千代である。「色ざんげ」ではその前近代的要素を文体…

宇野千代論14 暴かれる矛盾‐「色ざんげ」小論

生涯彼女が創作した作品の中で最も有名なものの一つが昭和8年9月から翌年3月まで「中央公論」に掲載された「色ざんげ」である。この作品は現在「当時同棲していた新進画家・東郷青児が他の女と起こした心中未遂事件を男の口から一人称で語らせるというスキャ…