鳴り止まないファンタジー

 いやーオーイーストのライヴ終了フルハウス御礼でもう太鼓(観戦できなかった人はお分かりになませんでしょうが僕太鼓叩いたんです。手にマメつくりながら笑)の筋肉痛で心地よいだるさを感じております。
オーイーストの近辺て右を向けどもホテル、左を向けどもホテル、後ろを向けどもホテル、正面もホテル、というわけで所謂ホテル街な訳でハコの隣のホテルの入口でずっとアースウィンドアンドファイヤーの「宇宙のファンタジー」(原題は「ファンタジー」ね。訳者の宇宙を付けたかった気持ちはちとわかるが蛇足感はいなめず転じてすげえ良い訳になっている)が無限ループでかかっているの。だから朝前を通ったら「夢は叶うさー」、帰りも「空へ飛び出そうー」で笑、極言すれば一年中そうなわけよ。んで昨日の公演も一種のファンタジーでしてもうね、うっとりしてんの。これがだるさの正体なんですけども、これだから音楽はいいのよ。音楽こそ宇宙で宇宙のファンタジーとくればファンタジーを神に感謝せねばなるまい。
http://www.youtube.com/watch?feature=youtube_gdata_player&v=mjxdmsXzwmQ
不覚にもやべー。最初のブラスのキメとかもうやべー。泣けてくる。うう。以外にサウンドは厚くないのねー

 まあ、まだ23ですので(ジャズメンとかさ35とかでも若手だからさ。僕なんてまだ赤子)、ゆったーりと活動して行きたいと思っているのですがまあそれなりに忙しくなるので日記などチェックして頂ければ。最近全然日記書けなかったので、これツイッターのせいだと思うんですよ笑。一頃ハマってしまいまして140字以上かけなくなってしまう病気になったんで今はほとんど書かずその便利さ、即効性の高さで復権した「なう」という言葉(「ナウい」という死語はみなさんご存知でしょう)を封印し日記の更新を増やしたいと思います。何でもかんでもタイムラグが失われ(音楽もニュースもコンビニの営業時間も)全てが即時共有というのは大変最高ハッピハッピーなのですがこの新たなデジタル化に少しだけ反抗してみたいと思います。そしてこれは同時に漱石先生への挑戦でもあります。日記は後から読むメディアである、というのが僕の立場で、もちろん更新した瞬間消費してしまう方もいらっしゃるとは思うのですけれども、リアルタイムの日記を閲覧するより過去のログに眼を通すことの面白さと今だからこそ見える視点が存在するのです。かなりギリギリな表現かとは思いますが古典を見直すことと相似だと思います(最初は意味のわからないチャーリーパーカー、だんだんすごいよマサルさん)。森鴎外の日記もアンネの日記も男のすなる日記もリアルタイムで閲覧できたとしたら、ただの覗き見趣味に他ならず痛かったり、痛切感の鋭さたるや皆様もミクシーや他のブログですぐにでも具体例を思い浮かべることができるでしょう(逆に日記を見せびらかすようになった現代はちょっとすごい。これは個性主義と密接に関係がある気がする)。時代を経て眼にするとき違う驚きや感動や不思議があるということです。そしてその味わいはタイムラインを追いかけるメディアでは希薄であるのです。それに僕の日記を見て元気が出る、と言うおかしな方がいらっしゃるので笑、この日記のどこ見て元気が出るんだーと笑ってしまうのですが、もしそうだとするならば元気を少しでも分けてあげたいと愚かながら思うわけです。いや、もちろんこのクズ日記なんだよ消せよコラ、って人ももちろんいますよー。あんまり怖いんでずーっと無視してるんですが笑。
 世界のあっちゃこっちゃで色んな歪みが補正されたりひどくなったりしますが日本もその例に漏れず若者が働けない、といういびつな現状で革命前夜ではないか(次に日本で起こる革命は草食系男子がネット経由で起こすものか、ギャルがリアル世界で立ち上がるものかのいずれかであると僕は睨んでいますが)、と思われるのです。若者は何をするべきか。テン年代ゆとり世代に懸かっている、気がする。(この段落の先頭に戻る、以下繰り返し)

それではさよなら